大相撲の大麻問題とアンチドーピング

2008年10月「e-resident」掲載

―検査は人権を守るためにある

大相撲の大麻騒動がありました。北の湖理事長が辞任し、力士たちが解雇され、騒ぎは収まったかにも見えます。しかし今回の騒動では気になる点がいくつかあります。

一つは、今回の大麻騒動がドーピング問題と混同されて報道されていることです。確かに大麻は競技会検査での禁止薬物ですが、「大麻使用という社会的問題」と「ドーピング問題」とを一緒にするから話がややこしくなっています。

大麻所持の現行犯で逮捕された若ノ鵬は日本の法律を犯すという社会的な問題を起こしました。ですから相撲協会がどのような処分を下してもかまわないでしょう。しかし、露鵬と白露山の二人は「抜き打ちの尿検査」で大麻を吸引していたとされ解雇処分を受けました。この「抜き打ち尿検査」というのは「ドーピング検査」とはまったく違うものです。そもそも相撲協会にはドーピング防止に関する規約もなければ、制裁の規定もありません。もちろん大麻を吸引していたのが事実だとしたら社会的な制裁はうけるべきなのでしょうが、「選手の人権」という点からすると今回の流れはちょっとおかしい。「これから尿検査を行う」といきなり言われた時点で、よく素直に力士たちは承諾したものだと思います。お相撲さんたちはそれだけ「世間知らず」ということなのでしょうか。「医者の世界」も似たようなものかもしれませんが・・。

スポーツ界のアンチドーピングは、その憲法とも呼ぶべき「世界アンチドーピング規定」が根本に存在し、「禁止薬物や禁止方法」のみではなく、「検査のやり方」や「検体の分析の仕方」、「病気の時に禁止薬物を用いる場合の申請の仕方」、などがルールとして定められています。制裁に関してもルールで決まっていて、基本的には初回の違反で2年間の出場停止、二回目で永久追放、という非常に重いものです。このような重い制裁があるからこそ、検査自体が大変厳重に行われます。

まずは、ドーピング検査官と選手、選手の付き添い以外は入ることのできない「ドーピングコントロールステーション」で検査が行われます。選手は採尿カップを3つ以上の中から自分で選び、検査官の監視下で採尿します。次に自分の尿を、自分で、ボトルに移し替え封をします。密封されたボトルは分析の直前までだれも開封することはできません。そして、ドーピング検査の公式記録用紙とともに認定を受けた検査機関に送られ分析が行われますが、検査機関でも誰の尿かわからない仕組みです。

きちんとしたドーピング検査というのは、採尿から分析までの過程で、「絶対に他人の手が入ることができないような仕組み」になっています。このように検査自体がしっかり行われなければ、その結果をもって制裁を加えること出来ないというのがドーピング検査のルールです。「誰かに仕組まれる」というようなことが無いように、選手の人権を守るためのルールでもあるのです。ですから、厳重に行われたのかどうかわからない「尿検査」の結果をもって制裁を加えるというのは、本来のドーピング検査からするとおかしなことです。

―しっかりとしたルールづくりを

もう一点は、今回の騒ぎでは検査自体が「犯人探し」的になっていることです。アンチドーピングを根付かせるために一番大事なことは、「自分たちのスポーツを守るためのアンチドーピング」ということを選手たちに理解してもらうことです。ドーピング検査が「犯人探し」ととらえられてしまうと、選手たちにしてみれば「余計なことをしてくれて」「俺たちの仕事を奪う気か」といった気持になって、本来のアンチドーピングの意味を理解してくれなくなってしまいます。「真面目に正々堂々と戦っている選手の権利やスポーツそのものを守る」ためであるということを、しっかり現場に解ってもらうことが大事です。

約1年前に、アメリカ大リーグで「ミッチェル・リポート」騒動がありました。元上院議員のジョージ・ミッチェル氏が大リーグの薬物汚染の実態調査結果を実名入りで公表したのです。その中には、有名メジャーリーガーの名前とともに、日本のプロ野球(NPB)にかつて在籍した選手や、現在も在籍している選手の名前も含まれていました。NPBにも火の粉が及びかねない事態となりました。しかし、その時点でNPBではすでにドーピング検査を本格導入しており、「日本のプロ野球はアンチドーピング活動に毅然と取り組んでいる。きちんとしたルールのもとにドーピング検査も行っている」という一言で、それ以上騒ぎにはなりませんでした。大リーグはきちんとアンチドーピングに取り組んでいなかったから、さまざまな「疑惑」が湧き出てきたのです。この一件はNPBのアンチドーピング活動にとって意味のある一件でした。日本のプロ野球関係者たちは、「アンチドーピングに早く取り組んでいてよかった」と感じ、「アンチドーピングにしっかり取り組むことがプロ野球を守ることになる」ということを実感したのです。それ以来、選手も球団関係者もドーピング検査にとても協力的になりました。選手たちも誰一人、面倒なドーピング検査に対して文句を言わなくなりました。試験導入からわずか3年で、「プロ野球ではドーピング検査が当たり前のもの」になりました。

薬物疑惑や八百長疑惑といった様々な疑惑は間違いなく大相撲の価値を貶めます。現に秋場所では懸賞の本数が3割減ったと聞きます。クリーンなイメージがないとスポンサーも離れてゆきます。これは、プロスポーツにとっては致命的です。

「大相撲を守るために」、早くきちんとしたアンチドーピングのルールを作って、取り組んでほしいと思います。