インドでのレスリング選手権にて

2010年6月「e-resident」掲載~インド、ニューデリー・「レスリングアジア選手権」

今回のコラムは、日本に帰国する飛行機の中で書いています。インドのニューデリーにおいて、5月12日~16日の日程でレスリングのアジア選手権が開催され、チームドクターとして帯同しました。男子フリー、グレコローマン、女子でそれぞれ7階級、21人の選手が出場し、連日気合の入った熱戦が繰り広げられました。フリーでメダル4つ、グレコでメダル1つ、女子は全員メダルを獲得し、合計で金2、銀4、銅6という結果でした。詳細は日本レスリング協会のホームページをご覧ください。

2カ月前、日本レスリング協会の医科学委員会の席上において、「下痢する選手が必ず出るインドはやっぱり内科医が必要でしょう」という師匠・増島篤委員長の一声で、わたしが帯同することに決まりました。滞在中の1週間、いろいろなことがありました。そして今、この原稿を書いているわたしのおなかはグルグル鳴っています。通路側の席で助かりました。成田に着くまで何回トイレに行くことになるのだろう……。

―チームドクターの一日

読者の皆さんは、チームドクターが毎日何をしているのかイメージがわかないと思います。そこで、大会期間中のわたしのある一日を再現しましょう。

朝7時に起床し、今大会の団長であるモントリオールの金メダリスト・高田裕司さんとホテルの隣の公園を散歩します。前の晩、「先生、明日の朝一緒に散歩しようよ」お誘いを受けました。「今日も遅くなるだろうし、明日はゆっくり寝たいなぁ」と思いつつ、「オトモイタシマス」と直ちに答えたわたし。選手はもちろん、スタッフや協会の重鎮たちとのコミュニケーションはこの仕事をする上でとても大事だからです。朝7時といえども、ニューデリーはすでに30度を超えています(ちなみに、その前日の最高気温は43度でした)。

ペットボトルを片手に水分補給しながら散歩して、シャワーを浴びてから朝食です。きちんとしたホテルですが、すでに下痢や発熱の選手が数人出ているため、選手たちが変なものを食べていないか気を配ります。部屋(トレーナーとの2人部屋)に戻り、仕事のメールを確認している間に、選手が2人、生理痛や風邪の症状で部屋にやってきました。

午前11時にパトカーが先導するバスに乗り込みホテルを出発し、約30分で試合会場に到着しました。ウォームアップ会場に入り、選手たちは試合に向けてアップを開始します。試合が始まるまでの間は「ちょっとおなかが痛いんですけれど…」と訴えてきた選手に対応し、試合中はリングサイドで応援しながら、不測の事態に備えます。

午後5時には、翌日の試合のための計量やメディカルチェックにやってきた選手たちに対応します。試合前のメディカルチェックというのは、試合で相手に感染させる恐れのある皮膚感染症などがないかどうか、大会のドクターがチェックするのですが、何かいちゃもんをつけられたときにはわたしが出て行き、問題ないことを証明するのです。

午後6時からは決勝トーナメントが始まり、表彰式の後はドーピング検査の対象となった選手に付き添います。検査員の言葉を通訳し、ドーピング検査室で選手の権利がきちんと守られているかにも気を配ります。検査が終了して、バスに乗り込み、ホテルに着いたのが午後10時。それから食事をして、シャワーを浴びて、マッサージを受けている選手たちと雑談して、深夜2時くらいに就寝します。帯同時は大体このような毎日です。

―インドの救急車に乗り込む

今回の大会は10月にニューデリーで行われるコモンウェルスゲームズ(4年に1度、イギリス連邦に属する国が参加する総合競技会)のプレ大会ということで、とてもセキュリティチェックが厳しく、至るところに警官や軍の兵士が銃を構えていました。ですから、われわれはホテルと会場の往復だけで、それ以外のところには勝手に行くことができません。しかし、そんな中、貴重な体験をすることができました。

ある選手が試合後、マットにあおむけになったまま起き上がれなくなりました。直ちにマットに駆け上がると、選手は強い痛みで過呼吸状態に陥っています。意識などに問題ないことを確認して「大丈夫だよ」と声を掛けながら落ち着かせると、鎖骨のあたりに強い痛みを訴えます。一見、骨折や脱臼はなさそうと判断しましたが、念のためレントゲンで確認することにしました。

大会組織委員会が手配してくれた救急車に選手と一緒に乗り込みました。すると、インドの救急車にびっくり。とても汚くて、ここで治療したら病気が悪化しそうな雰囲気で、おんぼろ車のためにすごい振動です。車内は冷房もなく、窓を開けたら40度の熱風が吹きつけてきたので、あわてて窓を閉めました。

―医学の常識が必ずしも当てはまるわけではない

病院に到着しレントゲン室に入ったら、ここも物置小屋のよう。改めて日本の医療水準の高さを実感しました。幸い、骨に異常はなく選手の痛みもだいぶひいてきました。そこでインドの偉そうな大先生が登場し、入院病棟に運ばれ、「VIP」と書かれた個室に案内され、「念のため安静が必要だから明日の朝まで入院しなさい」というのです。おそらく、外国からのゲストにきちんと対応しなければという善意だと思いますが、「自分はドクターだから何かあったら責任を持って対応する」という旨を話して、何とか帰らせてもらうことになりました。

帰りの救急車では、少し元気になった選手と一緒に観光気分を味わいました。救急車は今までまったく通らなかった路地を走り、ものすごい人ごみや、馬車の馬小屋、道を歩く象など、まさにインドを堪能することができました。

―街中を歩く象

会場に戻ると、「観光できて良かったじゃないか」とコーチにからかわれた選手でしたが、ドクターの立場では、今日の試合に出場するのはちょっと無理だと思いました。しかし、「骨に問題ないのであれば、ここで痛みをこらえて戦うことが必ず将来の成長につながる」という高田団長の言葉によって、選手もその気になり奮起し、見事銅メダルを獲得しました。

 

「やはりドクターよりも経験者の見立てのほうが正しいな」と納得し、オリンピックチャンピオンの偉大さを改めて感じたのでした。

以前のコラムでも述べたように、医学の常識が必ずしもスポーツの現場で当てはまらないことだってたくさんあります。今回のインドでも多くを学びました。