バリのビーチゲーム

2008年11月「e-resident」掲載~インドネシア、バリ・「第1回アジアビーチゲーム」

―スポーツ大会で国を元気に

10月18日から26日まで「第1回アジアビーチゲーム」がインドネシアのバリで行われました。私もOCA(アジアオリンピック評議会)のメディカルコミッティーのメンバーの一人として仕事をしてきました。
オリンピックと同様、4年に一度、OCAの主催で「アジア大会」が開催されます。これは、日本が参加するオリンピックに次いで大きな「国際総合競技大会」です。1994年には日本の広島で開催されましたし、一番近いところでは2006年にカタールのドーハで行われました。私も今まで何度かこの「アジア大会」についてはエッセイで書いてきましたが、オリンピック種目はもちろんのこと、アジアに特徴的な競技や、これからオリンピック種目をめざす競技なども行われます。セパタクローやカバディーなどです。

近年はその規模がどんどん大きくなってきたため、「インドアゲーム」と「ビーチゲーム」とが4年に一度のアジア大会とは別に行われるようになりました。つまり、大きな国際総合競技大会を開催するには「大会を運営するための能力」が必要であり、なによりお金もかかります。オリンピックはもちろんのこと、アジア大会でさえ大きな国でなければ開催できない状況になってきたのです。そこで、一部の競技を分けて開催し、多くの国でアジア大会を開催できるようにしたのです。
これは、「スポーツの国際化」という観点からすると大変よいことです。何度も書いているように、「スポーツは世界共通のルールをもった文化」なのですから、大国でなければ総合競技大会を開催できないとなれば、スポーツの意義がうすれます。さすがにオリンピックを開催するにはその能力は不可欠ですが、それを補う形の大会を作ったということです。あまりメジャーではない競技にとっても、総合競技大会が行われることにより元気が出てきます。そして、第1回のビーチゲームが今回バリで行われました。

期間中のOCAのメディカルコミッティーの仕事は、「大会が十分な医療体制の下で行われているか」、「きちんとしたドーピング検査体制が敷かれているか」などをチェックし、組織委員会に様々なアドバイスを送ることです。毎日メンバーが手分けして会場を回り、ドーピング検査に「スーパーバイザー」として立ち会い、その結果を翌朝の会議で報告します。会議には必ず大会組織委員会の担当者も同席するので、その場で解決策を求めることも多いのですが、いつも担当者が「その通りに改善したいのだけれど、でもお金が・・・」と泣きべそをかきながら答えるのが印象的でした。

―マイナースポーツも応援したい

ビーチバレー、トライアスロン、セーリングなどのオリンピック種目以外にもビーチハンドボール、ビーチレスリング、ビーチサッカー、ビーチセパタクロー、サーフィン、パラグライディングなどなど、合計19種目の競技が行われたのですが、どの会場もビーチを簡易的に区切って、仮設の観客席を設けてといった質素なものでした。各会場に設けられたドーピングコントロールステーションも仮設テントでつくられた簡単なもので、部屋もせまく、日中はほとんど蒸し風呂でした。あまり暑いと選手もなかなか尿が出ませんし、「選手の権利を守る」という観点からは問題であるため、もちろん改善要求を出すのですが、そうすぐに改善されるはずもありません。ただみんな一生懸命にやっていました。だから毎朝の会議でも「こんな状況の中でみんな一生懸命にやっているよ。まあしょうがないじゃない」という発言を数多くしましたが、他のメンバーからは「いい加減な日本の医者」と思われていたかもしれません。でも、日本だって昭和33年にアジア大会を東京で開催した際には似たような状況だったのでしょうから。やっぱり、温かく見守ってあげなきゃ。

ドーピング検査はDCOと呼ばれるドーピング検査官が行いますが、今回の大会では地元のDCOのほかにアジア各地から経験豊富な国際DCOも助っ人に来ました。日本からも日本アンチドーピング機構(JADA)から二人のDCOが派遣され、経験の浅い地元のDCOやボランティアの人たちにとっても優しく教えていました。とくに中東から来たDCOたちが地元の人たちを「召使い」のように扱う姿とは対照的で、みんな、「日本人は優しい」「日本人は素晴らしい」と言っていたのが印象的でした。こんなところから国際親善や友好が生まれるなんだよなあ、とあらためて感じました。
さて、今回の日本選手団は9競技に出場したのですが、その中でもサーフィンが金銀銅それぞれ2個ずつ合計6個のメダルという素晴らしい結果を残しました。みんなチャラチャラした雰囲気もなく、真剣に競技に取り組む姿が印象的でした。これからも応援したくなりました。おそらく日本ではほとんど報道もされなかったのでしょうけれど、これをきっかけに競技スポーツとしてきっと発展してくれると思います。