ソフトボールの金メダル

2008年9月「e-resident」掲載~北京オリンピック、女子ソフトボール

―次につなごう!

オリンピックが終わりました。野球チームのドクターとして帯同した私にとって、4回目となる北京オリンピック、長かったような、短かったような、不思議な2週間でした。

金メダルをめざして戦った星野仙一監督率いる野球チーム、メダルを獲得することができませんでした。帰国してみると、どの週刊誌もバッシング一色です。「結果が全て」のスポーツの世界ですから、結果が出せなかった以上、何を書かれても仕方がない、そのことは監督も選手たちもよく分かっています。そして、結果が出せなかった責任はコンディショニングにかかわった私にもある、ということです。

東京での合宿を含めるとちょうど3週間、選手たちと一緒に生活したわけですから、いろいろなことは感じました。ただ、チームの一員であった私が、その「敗因」や「問題点」に関して、評論家のようにいろいろ言ってはいけない、というより、考えてはいけないのだと思っています。

実際には、過酷なペナントレース、オールスターゲームからほとんど休む間もなく合宿・オリンピックに突入した選手たちにとって、最高のコンディションを維持するのは大変なことではありました。しかし、その日程は前から決まっていたことですから、私の立場としては、そのような中でいかにメディカルとして、「課された役割」を果たせたかどうかです。その点に関しては、きちんと検証して、反省もして、次につなげなければいけない。

来年3月には第2回のワールドベースボールクラッシック(WBC)も開催されます。北京で野球チームが味わった屈辱を晴らせるように、星野監督の言っていた「日本の素晴らしい野球を世界に知らしめるため」に、機会が与えられれば、しっかりお手伝いしたい、と思います。

―悲願の世界一

そんな中、前回のエッセイでも「斉藤監督の存在感」と書かせてもらった、ソフトボールの金メダルはうれしかったです。シドニー、アテネとオリンピックに一緒に行かせていただいた私にとって、「世界一」という夢をみながら頑張ってきた選手、スタッフの気持ちがよくわかります。たくさん人の「思いが詰まった」金メダルです。

ソフトボールの決勝は、野球が宿泊していたホテルのラウンジで、選手やスタッフと一緒にテレビで見ました。ちょうど、野球チームは翌日に準決勝を控え、午前中は練習でしたが、午後は休みでした。ソフトボールの決勝戦の会場に足を運びたいとも思ったのですが、今回自分は野球のドクターとしてオリンピックに来ている、大事な試合を前に、そんなことができるわけがないわけで、テレビの前での応援となりました。

上野投手の力投、みんなで戦っているという連帯感、金メダルが決まった瞬間、思わずこみあげてきてしまいました。肩車される上野投手を見ながら、アテネでの苦しそうだった宇津木監督のことがよみがえりました。

アテネではいろいろなことがありました。

「打倒アメリカで金メダル」が目標でありながら、予選からなかなかうまくゲームを運べないいらだち。宇津木監督の愚痴を毎日のように聞いていました。そして、オーストラリアに敗れ、決勝戦に進めなくなって、ベンチ裏で選手たちを前に宇津木監督は泣きながら言いました。

「みんな、申し訳ない」

その言葉を聞いて、その場で泣き崩れる選手たち。

今回の決勝戦で、先制のきっかけとなる二塁打を放った三科選手の「カントクー」と泣き叫ぶ姿が頭に焼き付いています。もちろんその中に、今回の斉藤監督もいました。

やはり、チームスポーツの活躍は、みんなに「元気」を与えてくれますよね。

昨晩もテレビをつけると上野投手が出ていました。

「努力は裏切らない、ということが本当にわかった」

「最後まであきらめなくてよかった」

たくさんのスポーツ選手と接していて思います。みんなみんな努力していて、でも、この喜びを味わうことのできる選手はごくわずかです。選手たちの多くが、努力が報われるような喜びを味わうことができるように、そして、それを見たみんなが、元気をもらうことができるように、私がやらなきゃいけないことはまだまだあるなあ、と感じたのでした。

ところで、大気汚染が懸念された北京でしたが、空は澄み、息苦しくもなく、町や会場にはゴミ一つ落ちていませんでした。さすが中国、というか、まさに中国、でした。