スポーツとアンチドーピング

2006年6月「e-resident」掲載~アンチドーピングについて

―アンチドーピング活動

今回はアンチドーピングの話をしたいと思います。

皆さんもご存知のとおり、ドーピングとは「薬やその他の不正な方法を用いて競技力向上を図ること」です。スポーツ界においてドーピングはスポーツそのものをだめにしてしまう行為であり、アンチドーピング活動は、われわれスポーツドクターが真剣に取り組まなければいけない仕事のひとつです。

アンチドーピング運動は、自転車のロードレースで興奮剤を使用した選手がレース中になくなったことをきっかけに始まりました。ベルリンの壁崩壊以前、組織的にドーピングが行われた国では、いまでもドーピングの副作用に苦しんでいる元選手たちがたくさんいます。このように、「選手の健康を守るためにドーピングをやめよう」というのが、ドーピングが禁止されるひとつの理由ですが、決してそれだけではありません。スポーツの世界でドーピングを許してしまったら、「スポーツそのものの価値がなくなってしまう」のです。

スポーツの世界は、結果が求められる厳しい世界。オリンピックのメダリストになるかならないかで、人生が全く変わってきます。ドーピングがからだによくないなんてことはわかっていても、それに手を染めてしまう選手たちの気持ちもわからないではありません。「ドーピングをしてからだが壊れても自分のことなんだから人には関係ないじゃないか」という選手の本音もあるかもしれません。しかしそうではないのです。

スポーツは人々に夢や感動を与えます。一生懸命練習して、努力して、そして結果を勝ち得た選手たちをみて、子供たちも「ああなりたい」と感じます。そこに、ドーピングという「ずる」は許されないのです。ドーピング行為はスポーツ固有の価値を損なうものであり、スポーツ界がアンチドーピングに真剣に取り組むことは、「スポーツがクリーンであることを証明し、スポーツそのものを守る」ことになるのです。

ですから、スポーツのすばらしさを感じ、国をも変えうるスポーツの力に魅せられてこの世界に身を投じている私にとっても、アンチドーピング活動は大変重要なものです。

―ドーピング検査

実際、ドーピング禁止物質にはさまざまなものがありますが、これは世界アンチドーピング機構(WADA)が世界共通のルールとして禁止リストを定めています。蛋白同化ステロイドなどの筋肉増強剤、興奮剤、エリスロポエチンなどのホルモン、利尿剤やドーピングを隠すための隠蔽剤、β刺激剤、糖質コルチコイドなどの薬物がドーピング禁止物質。これらは、日常の医療行為で使われるものも多く、薬局で手に入る風邪薬などにもこれらの禁止物質が含まれているものが数多くあります。

ですから、ドーピングをしようと思っていなくても、うっかり服用した風邪薬に含まれているエフェドリンが検出されればドーピング違反になってしまうこともあります。このような、「うっかりドーピング」を防ぐために、選手たちに薬の知識を教えることもわれわれの仕事ですし、実際選手からは、「この薬は飲んで大丈夫か」といった問い合わせも数多くきます。

さらに、トップアスリートは、いつドーピング係官がやってくるかわからない競技外検査(抜き打ち検査)に応じる義務もあり、そのために自分がいつどこにいるかという、居所情報を定期的に提出しなければいけません。このように、ドーピング検査はドーピングなんて考えてもいない選手にとってはとても面倒なものです。しかし、選手たちは、「自分たちが置かれているスポーツを守るために必要なこと」と理解して、協力してくれています。

そして、今年になってアンチドーピングを取り巻く日本の状況がまた変化しました。ユネスコが定めた「スポーツにおけるドーピングの防止に関する国際規約」を昨年12月に日本政府が締結し、この規約は本年2月から発効しました。中身は難しいのですが、要するに、「国を挙げてアンチドーピングに真剣に取り組む」ということを日本政府が宣言した、ということです。夏のオリンピックを2016年に東京に誘致できるかどうかも、日本がどれだけアンチドーピングに取り組んでいるかを評価されます。そして、日本アンチドーピング機構(JADA)が中心となってその仕組みが徐々に形作られてきています。

日本のプロ野球も、アンチドーピングに本格的に取り組み始めました。2006年からドーピング検査を導入し、プロ野球選手を対象に、アンチドーピングの啓発活動にも力を入れています。日本の人気スポーツであるプロ野球のアンチドーピングに対する姿勢が社会に与える影響はおおきく、また、プロ野球が真剣にアンチドーピングに取り組むことは、「日本のプロ野球はクリーンである」ということを証明することにもなります。そして、選手たちもそれらを十分に理解し協力してくれています。

まあ、なんだか今回はドーピングの講義みたいな内容になってしまいました。しかし、細かな内容は別にして、「ドーピングをしようなんて考える選手はほとんどいない日本」でも、ドーピングの啓発活動をして、ドーピング検査もたくさんやっていることを示さなければ、日本が真剣にアンチドーピングに取り組んでいる、と世界からは評価されないのです。

今後は、医学教育の中にもこのアンチドーピングが取り入れられなければいけない時代が来ると思います。