オリンピック以来の北京

ユニバーシアードの深圳から戻って早10日たちました。時差ぼけはないもののやはりまだなんとなく疲れが抜けていない私ですが、今日は北京に来ています。

2013年に中国・天津で開催される東アジア大会の医事委員会に出席するためです。

東アジア大会は、まだあまりなじみがありませんが、日本、中国、韓国、北朝鮮、香港、マカオ、モンゴル、台湾、グアムという9つも国と地域が参加し4年に一度開催される総合競技大会です。前回は2009年に香港で開催されました。

医事委員会では大会期間中の医事体制やアンチドーピング体制などが確認されます。

午後の便で日本を発ち翌日にの夜には日本に戻るという一泊2日の旅。

良く晴れた飛行機からはきれいな富士山が見えました。よく見ると夕日を映して富士山が赤く染まっています。

これがうわさの「赤富士」か。

飛行機の中でいろんな思い出がよみがえってきました。

30年前、初めての海外はやはり中国。大阪から上海まで乗りました。窓から中国の大地を見ながら「これが外国か」と感慨にふけったことを思い出しました。その時流れていた音楽も耳に残っています。

あのころはすべて初めてで、すべて新鮮だったからね。

それに比べて、最近はなんと鈍いことか。年をとるとすべてに鈍くなりますね。それじゃだめだぞ、と反省の思い。

北京は2008年のオリンピック以来、もう3年もたったのかと再び感慨につかります。

3年前、私は野球チーム星野ジャパンのチームドクターとして北京にいました。

なかなか思うように戦うことができず、もやもやしたオリンピック。ダルビッシュや川崎宗則がバリカンで坊主になったことも思い出しました。でもいい男たちは坊主でもかっこよかった。バックネット裏でスコアラーの三宅さんといろいろな話をしたなあ。ソフトボールの決勝戦は野球のみんなでテレビで見ました。

ああ、本当にあっという間に3年たっちゃった。野球もリベンジしたいけどもうオリンピック種目ではなくなってしまいました。さらに、あの感動したソフトボールもロンドンンでは見ることができません。

ぜひ2020年東京オリンピックを決めて、野球とソフトボールの復活を、なんて考えていたら、睡魔が襲ってきました。北京オリンピックの思い出はそのうちまたゆっくり書きますね。