月別アーカイブ: 2013年2月

病室のテレビで聞く安倍総理の施政方針演説

今日で入院7日目です。

昨日は、気管切開した部分から入れてあったチューブを抜き、縫合しました。

食事も今日から普通の食事になりました。

調子がよくなっているだけに、国会に行けない自分自身を腹立たしくも感じます。

午前中の予算委員会、そして午後1時からの本会議、病室のテレビでしっかりと聞きました。

聞きながらメモりました。

「今こそ、世界一を目指していこうではありませんか」

「国民の生命と財産を、断固として守る、強靭な国づくり」

「女性が輝く日本」

「子供たちが主役の教育再生」

「みんなに安心感を持ってもらえるような持続可能な社会保障制度」

などなど、熱意のこもった、わかりやすい演説でした。

そして最後に、「私は、この議場にいる全ての国会議員の皆さんに、呼び掛けたいと思います。我々は、『何のため』に、国会議員を志したのか。それは、『この国を良くしたい』、『国民のために力を尽くしたい』、との思いからであって、間違っても、政局に明け暮れたり、足の引っ張り合いをするためではなかったはずです。全ては国家、国民のため、互いに寛容の心を持って、建設的な議論を行い、結果を出していくことが、私たち国会議員に課せられた使命であります。・・・この議場にいらっしゃる皆さんには、是非とも国会議員となったときの熱い初心を思い出していただき、どうか建設的な議論を行っていただけますよう、最後にお願いして、私の施政方針演説といたします。」

安倍総理大臣、議場で聞くことはできませんでしたが、しっかりと頭に焼き付けました。

すべては国家、国民のため。国会議員を志した「初心」を決して忘れずに、これから長く政治を続けたいと思います。

 

 

 

 

とても順調に回復しています

今朝の信濃毎日新聞には「小松裕衆議院議員が入院」との記事が。

地域の代表として責任ある立場だから、記事になって当然です。

昔から、政治家は健康面のことについては隠す傾向にあったように思います。

しかし、今回の入院では、私は自分の病状に関して隠すことなくその通り伝えよう、と思いました。

医者のくせに体調管理ができなかったという未熟な点をさらけ出すことになっても、地域を代表して国会に送り出していただいている身です。正確な自分の状況をきちんと発信することが義務だと考え、昨日のブログでも詳細に書きました。

ただし、今日の新聞を見て「医学的な情報には補足説明も必要だな」と感じました。

「小松氏は22日に入院し、気道確保のため気管を切開する手術を受けた」と書かれていましたが、これを見て「これは大変なこと」と心配して連絡をくださった方もたくさんいました。

確かに「気道確保」、「気管切開」、「手術」というような言葉が並ぶだけで、重症感たっぷりです。

入院した22日の私の状態は、扁桃腺炎(扁桃腺がばい菌の感染で腫れること)が進行し、のどの奥にばい菌が感染し、一部は小さな膿瘍(うみ)になり、それらのためにのどの奥が少し細くなっている状態でした。水を飲むことはできませんでしたが、呼吸は全く問題ありませんでした。

すぐに、点滴による抗生物質の投与を開始しましたが、この薬による治療(保存的治療といいます)がこの病気のまずは第一選択の治療です。

通常は薬が効いてのどの腫れは治まってゆくのですが、そうならないこともあります。薬が効かなかった場合には、ばい菌の感染が急速に広がり、のどがはれ上がり、それにより呼吸困難に陥ることがあるのです。その場合には気道確保のために緊急的に気管切開を行わなければいけなくなります。

私が入院したのは週末の金曜日、万が一薬が効かなかった場合には緊急的な気管切開を人手が手薄な土日にやらなければいけなくなるのに加え、ばい菌の感染が進行してからでは手術もより難しくなります。

というわけで、受け持ちの先生と相談して、薬が効かなかった場合の最悪の事態も考えて、より安心できるように「予防的に気管切開をおこなった」のです。病状が悪くて、呼吸ができなくなったから気管切開を行った、のではありません。

翌日から症状はどんどん良くなりましたから、実は今回は「気管切開」は必要なかったということになりますが、それはあくまで結果論。傷跡は残ることになりましたが、正しい選択であったと思っています。

医療の場面では、このように即座に選択をしなければいけない場面がたくさんあります。決断力がとても大事です。

もちろん、「決断力」は政治の世界でも大事なこと、本日も、補正予算案が参議院本会議で1票差で可決されました。

「決められない政治から脱却する第一歩となった」との安倍総理のコメントが印象的でした。

話がそれましたが、私は極めて順調に予想以上に早く回復しています。

今日から普通に食事もとれるようになりました。のどの痛みもほとんどありません。明日には、気管切開した部分も縫合して閉じる予定です。

「口から食べられる幸せ」を実感している今日の小松なのでした。

 

 

 

入院してしまいました。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。

入院中の病院のベッドから書いています。

先週金曜日、22日に緊急入院しました。

病名は「頸部膿瘍(けいぶのうよう)」、扁桃腺炎が悪化してその奥までばい菌が入り込んで、頸部(首)の深部にばい菌による膿(うみ)がたまった状態です。

一週間前から、風邪でのどの痛みがありました。でも、元気でしたし、地元でのあいさつ回りや街頭、自民党本部での朝8時からの部会なども無理せずにできていたつもりでした。

念のため抗生物質も飲んでいたので、ちょっと油断していました。

木曜日21日の夕方から突然症状が増悪しました。

16時からスポーツ議連総会に出席してから、長野に向かう新幹線の中で水も飲めないほどのどが痛くなってきました。

長野での会合で必死の思いであいさつを終え、東京に戻り薬を飲んで寝て、翌朝8時からの会議には出ましたが、やはりこれはおかしいと病院の耳鼻科を受診しました。

スコープでの観察、CT、血液検査などの結果、上記診断で緊急入院となりました。

入院後、抗生物質の点滴投与を行いながら様子を見ましたが、半日で病状がさらに悪くなったために、22日の夜に予防的に全身麻酔のもと「気管切開」を行いました。

「気管切開」というのは、ちょうど首の前を通る気管(のどから肺につながる空気の通り道)を切開し、そこからチューブを挿入することです。

つまり、呼吸がのどを通らずに、首の前にあけた穴から行われるようにする処置です。

首の奥(深頸部といいます)にばい菌の感染が及ぶと、短時間でのどの奥がはれ上がり、呼吸困難に陥ることがあります。

万が一、そのようなことが起きてもあわてることがないように、受け持ちの先生と相談の上、22日夜に気管切開を決断しました。

幸い、その後の治療が功を奏し、症状や血液データも改善し、熱も出なくなりました。そして、今日から水分の摂取も許可され、気管切開のカニューラ(チューブのこと)をスピーキングカニューラに交換していただき、今日の午後には声も出せるようになりました。

このまま順調にいけば、今週末には退院、来週から公務に復帰できると思います。

しかし今回のこと、地域の代表として責任ある身でありながら、自身の体調管理もしっかりできなかったことに関して、深く反省しています。

そして、多くの約束をキャンセルせざるを得なくなり、たくさんの方たちにご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。

確かに、この4か月間、ほとんど休みのないハードスケジュールではありました。

しかし、体力には自信があっただけに、「すべてに過信は禁物」と反省しました。

「医者の不養生」とよく言いますが、まさにその通りです。

ごあいさつ回りしていても、多くの方から「体だけには気をつけてくださいね」と声をかけていただきますが、特に公人として健康でいることの大切さを痛感しました。

安倍総理大臣の訪米、オバマ大統領との会談、そしてTPP交渉入りに加速との報道。

しかし、TPP交渉参加には基本的に反対で自民党内のTPP反対議連にも入っている私としては、腑に落ちない点もいくつかあります。

農業や山村風景はもちろん、国民皆保険制度も絶対に守るべきもの、「聖域」とはいったい何を指すことになるのか。

今日も事務所にはTPP関係の電話がたくさんかかっているとの報告を受けています。こんな大事な時に入院していて、関係者の皆様、本当に申し訳ありません。

一日も早く、きちんと治してから復帰します。

そして、これからは決して無理せず、体調管理に気を配ります。

そして最後に、「風邪は万病のもと」といいますが、これもまさにその通り。

皆さんも気をつけてくださいね。

 

 

 

 

「希望に満ちた地域の再生のために」

2月15日の長野経済新聞に拙文が掲載されました。

皆様におかれましては、新しい年が希望に満ちて始まったこととお喜び申し上げます。

私事ながら昨年は激動の一年であったと思い出します。夏のロンドンオリンピックに日本代表の本部ドクターとして帯同し、国民に勇気と感動を与えるその一端に携わることが出来ましたことは本当に嬉しいものでありました。そして秋も深まった十月末、自民党の公募で長野一区の支部長に選任され、「さあ選挙区をくまなく回って自民党への支援を訴えよう」と決意を新たにした途端、衆議院が解散され総選挙になだれ込んでいくこととなり、短い時間にもかかわらず皆様からの大きなご支援を賜り、お陰様で衆議院議員として皆様方の声を国政に伝えるという重責を担うこととなりました。本当にお世話になりました。心より御礼申し上げます。

年が明けて直ぐに補正予算と来年度予算の編成、そして税制改正に与党議員の一員として様々な会議に出席し、活発な議論を目の当たりにしております。そこにあるのは日本を良くしなければならない、国民の幸せのために何をしなければならないのかという意識と責任感であります。今、日本のため国民のために最も大切なことは、長く続くデフレスパイラルに陥った日本経済を立て直すこと、景気を良くすることと明確に目標を立て、その為に全ての政策を総動員するという、はっきりとした指針があって安倍政権はスタートを切っております。この明確な政権の意思のために東証株価は上昇基調を続け、円レートは過度な円高から脱却しています。改めて政治というものの力、政治家が責任感を示して決断をすれば結果は自ずから付いてくるものだと云うことを実感しています。

安倍総理大臣はこの通常国会の所信表明演説でこの様に述べています。「今ここにある危機を突破し、未来を切りひらいていく覚悟を共に分かち合おうではありませんか。強い日本をつくるのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です。」

私も衆議院議員の一人として、そして皆様の代表として、皆様の声に真摯に耳を傾け、強い日本、希望に満ちた地域の再生のために、皆様と共に精一杯頑張って参ります。本年平成二十五年が日本復活、地域再生の始まりであったと刻まれる年になるよう一生懸命努めて参ります。最後になりましたが皆様お一人お一人にとって本年が幸多き年となることを心よりお祈り申し上げます。

衆議院議員 小松 裕

「須坂の母ちゃん頑張る」~全国に拡がった公衆衛生活動の原点~

今日は、7時前から近所の方たちとの雪かきから始まりました。

夜のうちに意外に積もったな。でも、今日の雪は軽くて雪かきしやすかった。

私が東京で家にいないときは、ご近所の方たちが私の家の前の雪かきもしてくださいます。

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、いいんですよ。そのかわり、国のため、地域のためにしっかりと仕事をしてくださいね」

感謝感謝! 地域の絆、つながり、大事ですね。

雪かきの後は、上松五差路で西沢正隆県議と一緒に街頭演説、国政・県政報告をしました。

先週印象に残った言葉、石破茂幹事長の「勇気とまごころを持って真実を語る。それができなければ政治家はやめなさい」

何回か引用させていただきました。

午前中はご近所のあいさつ回りをして、午後は須坂に向かいました。

須坂市役所で三木正夫市長と面会、健康福祉部の方たちも一緒に、健康・福祉に関する須坂市の取り組みや課題、そして須高地域(須坂市、小布施町、高山村)の医療福祉ネットワーク推進事業、保健補導員会の活動、などについて説明していただきました。

地域みんなの健康を支える先進的なさまざまな取り組み、これらが健康長寿の信州を支えているのですね。

お伺いしてよかった、と思いました。

そして、いただいたのがこの本です。

「須坂の母ちゃん頑張る」、第二次大戦末期の混乱期に産声を上げた「保健補導員制度」。市民の健康づくりや子育て支援、高齢者の見守り支援などを支えています。

自分の生活すらままならない時代に「住民の命を守る」という大峡美代志保健師の熱い思いが住民の心を動かしました。

旧高甫村の主婦たちが「保健婦さん何か手伝わせてくれないか」の一声から須坂市の補導員会は始まりました。

「保健補導員制度」、この健康づくり活動は、保健システムのモデルとなり、アフリカ地域の保健関係者も視察に訪れるようになったのだそうです。

まさに、私が目指したい地域のつながり、日本の姿です。

いただいた資料にしっかりと目を通させていただいてから、再びお話を聞きに伺いたいと思います。

そのあとは、県立須坂病院を訪れました。院長の斎藤博先生も、ご同席いただいた副院長の赤松泰次先生も信大の医学生時代からお世話になった先生です。

特に、赤松先生とは専門分野が同じ(消化器内視鏡)でしたから、学会などでもよく顔を合わせました。

病院の現状や課題などをお聞きしました。

「候補者になった新聞見て、ビックリしたよ」と赤松先生。

赤松先生、医者から政治家に立場は変わりましたが、思いは同じです。

地域・国民の健康のため『みんなが心も体も元気で生き生きと暮らすことのできる社会』を作るために、政治家として一生懸命に頑張りますからね。

 

 

二日間お礼のごあいさつ回り

土曜日、日曜日と二日間、昨年12月の総選挙でお世話になった方たちのお宅を一軒一軒回らせていただきました。

当選後、ごあいさつ回りも十分でないまま国会が召集され、そして正月、新年会の嵐、そして再び通常国会の召集で、いろいろな場面でお会いはしていても、きちんとお礼のご挨拶ができていない方たちがたくさんいます。

立候補予定者に正式に決まったのが10月26日、1か月もたたないうちに解散して選挙、本当に短い時間で「小松ゆたか」がどんな人間かも知らずに応援していただいたたくさんの方たちには本当に感謝しています。

当選からもう2か月以上たってしまいましたが、お一人おひとりにご挨拶しようと、この二日間朝から晩まで走り回りました。

本当に皆様、ありがとうございました。地域のため、日本のために働きます。

回りながら、選挙中の様々なことが思い出されました。

ここ綿内駅前は、選挙の最終日に朝一番で立会演説会をさせていただいた場所です。たくさんの方たちに来ていただいたことを思い出します。

ありがたいことに、自宅の壁に直接こんなにポスターを張っていただいているお宅も。感謝感謝!

今日は、移動途中に長野と須坂で街頭・国政報告もさせていただきました。

手を振ってくださったり、クラクションを鳴らしてくださったみなさん、ありがとう!

しかし、まる二日間まわっても、ご挨拶に伺わねければいけない方たちはまだまだたくさん。

国会開催中ではありますが、時間を作って、なるべく早くお伺いしますからどうぞお許しを。

明日、月曜朝はいつもの上松五差路で西沢まさたか県議と一緒の街頭から始まりです。

 

自民党青年局 新人議員研修会

10日の午前中、自民党本部で「党本部青年局 新人議員研修会」が開催され、出席してきました。

自民党の青年局は、小泉進次郎青年局長のもと様々な活動を行っていますが、昨年2月には東日本大震災の復興を後押しするためにTEAM-11をスタートさせ、毎月11日に被災地を訪れて復興の現場に足を運んでいます。

http://youth.jimin.jp/activity/team-11/index.html

今回は新人議員の研修会、自民党青年局は45歳までしか入れないので、私は青年局ではないのですが、「青年ではない新人も参加してもよろしい」という党のご配慮で私も参加させていただきました。

前々回、自民党が総選挙で圧勝した際、いわゆる小泉チルドレンと呼ばれた新人議員は84人でした。しかし、続けて当選出来た人はそのうちの14人。

今回の総選挙で当選した自民党の新人議員は119人もいますから、同じことにならないように、党本部の新人議員に対する教育がとてもしっかりしています。

また、様々な部会での発言を聞いていても、今回の自民党新人議員は皆まじめで、しかも専門性も持った、しっかりとした人ばかりのように思います。

青年局には入れてもらえないけれど、「ココロは青年」の新人議員小松です。まじめに講義をうけてきました。

まずは石破茂幹事長の基調講演・訓示、そして伊吹文明衆議院議長から党綱領に関する講義があり、その後は党組織の説明や、政調の組織や党としての政策決定の仕組みの説明などがありました。

「勇気とまごころを持って真実を語る」

「それができなければ政治家はやめなさい」

心に残る言葉ばかりでした。

そしてやっぱり小泉進次郎青年局長はとてもさわやかでカッコイイ。

最後のあいさつでは、青年局ではないのに出席した我々おじさん新人議員(5人くらい)を見ながら、「わざわざ出席いただきありがとうございました」と。

「ありがとうございました」、と言わなければいけないのは私のほう。

もちろん、終了後お礼のあいさつに行き、握手した小泉進次郎青年局長の手は、とってもやわらかだったのでした。

 

 

いいやま雪まつりと須坂のママさんバスケ

9日は、午前中「いいやま雪まつり」に。

道が大渋滞でメイン会場にしか顔を出すことができませんでしたが、大きな雪像をみながらゆっくりブラブラ。

とてもいい天気、たくさんの方たちとお話しました。

こちら、ペアルックの素敵なご夫婦、「早く景気を良くしてくださいね」、まじめにしっかり取り組みます。

餅つきもしちゃいました。ちょっと腰が入ってないなあ。

実行委員会OBの焼き鳥もおいしかったです。

そして、子供たちのステージも可愛かった。

初めてのいいやま雪まつりでしたが、規模の大きさにびっくりしました。

来年は、もっとしっかり時間をとって、カマクラなど他の会場にも足を運びたいと思います。サポーターズ倶楽部にも入らなきゃ。

午後は、私の政治の原点、自民党長野県連の政治スクール「信州維新塾」に出席し、ターボ機械協会会長・坂口順一さんからエネルギー政策と環境の話をお聞きしました。

「日本が経験してきたことをどうやって世界に生かすのか」が大事と。最近の中国の大気汚染問題だって、かつては日本も経験した公害問題です。

そのあとは須坂に行って、「やまぶきの会」に出席。暮れの選挙でも大変お世話になった方たちとゆっくりお話させていただきました。

そのあとは、須坂のママさんバスケの新年会に飛び入り参加です。

私も今でもバスケットを続けていますが、バスケはひとりじゃできないし、ママさんならなおさら旦那さんの理解もなきゃできないし、こういうスポーツによる地域のつながりがとても大事だと感じます。

今度、練習にも参加させていただくことをお約束して、東京に戻りました。

堀内監督、練習日程、必ず連絡してくださいね。

 

 

 

宇津木妙子さんたちとの楽しい食事会

2月7日は、仲良しのスポーツライター青島健太さんが企画して食事会を開いてくれました。

そろったメンバーは、オリンピックの監督を務めた野球界の重鎮たちや、私の師匠・増島篤先生、ソフトボールの宇津木妙子さん。

アトランタオリンピック以降、野球やソフトボールで一緒に戦ってきた先輩・仲間です。

本当に楽しい会でした。

「チーム一丸となって金メダルに挑戦する」、一流の指導者の方たちから、いままでたくさんのことを学ばせていただきました。

それぞれ私に初めて会った頃の思い出話をくださり、懐かしく思い出しました。

健太さんとも、ソウルでのシドニーオリンピック予選で「玉拾いを一生懸命にやっているドクターがいる」と興味を持っていただいて以来の仲。

宇津木妙子さんからは、たくさんのことを教わったなあ。でも、「コマッチャン!!」ってよく怒られた。

ドクターもチームの一員として接してくださっていた事がうれしかったことを思い出します。

思い出話だけでなく、政治家として新たなスタートをきった私に対して、様々なアドバイスもいただきました。

いつも冷静沈着な増島篤先生からは「自分を磨け!」と一冊の本のプレゼント。山本七平の帝王学、「貞観政要」の読み方です。

そして、健太さんが用意してくださった「青いバラ」をいただきました。

宇津木妙子さんによると、花言葉は「夢かなう!」なのだそうです。

http://utsugitaeko.aspota.jp/2013/02/post_635.html

まず自分を磨き、「みんなが心も体も元気で暮らすことができる日本」を作るという夢に向かって、一生懸命に頑張りたいと思います。

党改革・政治制度改革実行本部総会

今週、月曜日は衆議院本会議終了後に長野に向かい千曲川河川事務所で国土交通省関連の地方業務や仕組みについて教えていただきそのままとんぼ返り。

火曜日は、朝7時半からJA長野中央会の朝食会に出て、その後「スポーツ立国調査会・文部科学部会合同会議」(柔道に関する問題)、「航空政策特別委員会」、に出たあと、「第69回戦没者遺族大会」に出席しました。

戦争で尊い命を失った方たちのためにも、世界の平和、そして元気な希望あふれる日本を作っていかなければいけません。

そのあとは、「農林水産戦略調査会」、「治安・テロ対策調査会」で勉強して、午後から衆議院本会議出てから、夕方は「科学技術・イノベーション戦略調査会、研究開発力強化小委員会」に出席しました。

医学研究、そしてスポーツ科学研究に携わってきた経験から、世界に向けた日本の研究力に関する問題点も意見させていただきました。

今日、、水曜日は朝から「日本経済再生本部」、「外交・経済連携調査会」、「行政書士制度推進議員連盟」に出て、議員会館に戻り厚生労働省健康局疾病対策のKさんから「難病対策委員会」について話を聞きました。

そしたら、Kさんは東大医学部の学生時代、私の授業や実習をうけたとのこと。臨床医をしながら医療の仕組みに疑問をいだき、厚生労働省に入省したのだそうです。政治を志した私と思いは同じです。

いろいろなつながりがありますねえ。

あのころは、学生教育も一生懸命やっていたからなあ。ちょっと、うれしくなりました。

昼から、「国土交通部会」、「国際協力調査会」に出て「党・政治改革実行本部総会」へ。

選挙に勝ったことを決して驕らず、国民に信頼される「新しい、開かれた自民党」を作ってゆくための活発な議論がありました。

「議論だけに終わらせず、それを実行させることが大事」という逢沢一郎本部長のお言葉が印象に残りました。

常に、改革を続ける自民党でなければいけません。

そのあと、新幹線で長野に向かい、「長野県飲食業生活衛生同業組合」の新年会に出席しました。

超ハードなスケジュールですが、元気、元気!

国会議員としての責任がありますからね。

明日は、また朝から「「教育再生実行本部」などに出て、午後は予算委員会です。