ITmediaエグゼクティブに連載中のコラム、掲載されました。
4年に一度のたった一日に最高のコンディションで試合に臨まなければいけないオリンピック選手たち。
自分の体のことをよく理解し、そして我々にはまねできない「自己管理能力」
そして、20年前、バルセロナオリンピック前のあの偉大なオリンピック選手のことがよみがえります。
スポーツドクター小松裕(こまつ ゆたか)の公式ブログ。
4年に一度のたった一日に最高のコンディションで試合に臨まなければいけないオリンピック選手たち。
自分の体のことをよく理解し、そして我々にはまねできない「自己管理能力」
そして、20年前、バルセロナオリンピック前のあの偉大なオリンピック選手のことがよみがえります。
今日は第29回日本小児難治喘息・アレルギー疾患学会の特別企画、「アスリートと喘息セッション」に招かれ、大阪に行ってきました。
座長は今回の学会の会長でもある大阪府立呼吸器・アレルギー医療センターの亀田誠先生。
第1部で私が「アスリートと喘息」の話をして、第2部で国立病院機構福岡病院の西間三馨先生と、ご存じスピードスケートの金メダリスト、清水宏保さんとの「アスリート対談、ぜんそくでもなんだってできる!~ぜんそくのこどもたちの夢を応援します~」と題したセッションでした。
私はトップアスリートでも喘息の選手がたくさんいること、JISSでの喘息に対する取り組み、喘息とアンチ・ドーピングのことなどを話しました。
また、清水さんを含め、多くの喘息アスリートたちが、喘息の正しい診断や治療のために力を貸してくれていることも紹介しました。
アスリートたちは、スポーツの力を理解し、社会のために自分が何をすべきか、常に考えて行動してくれています。
本当に素晴らしいと思います。
第2部でも、時にユーモアを交えた西間先生と清水さんの語りで、会場は大変盛り上がりました。
聞きながら私も、「やっぱり大阪で話をするときには、たくさんの笑いのネタを入れるべきだったな」と反省しました。
清水宏保さんとは本当に久しぶり、たぶん5年ぶりくらいかなあ。引退してもあの優しそうで精悍な顔つきは昔のままです。
自らの喘息の経験や、スポーツに対する思いを語り、会場を訪れたぜんそくの子供たちの夢を応援してくれました。
「喘息だったからこそ僕はオリンピックで金メダルがとれた」と語る清水さん。
「継続することが大変だった」との言葉には、長く競技をつづけてきた誇りも感じました。
こうやって、引退してからも、「スポーツに何ができるか」を常に考えて「世の中のために」行動してくれている姿には、本当に頭が下がります。
こういったスポーツ選手、スポーツ人に出会うたびに、スポーツをもっともっと応援したくなるのです。
清水さん、今日はあわただしかったけれど、今度ゆっくり飲みながらお話したいですね。
先日6月15日の夕方、NHKラジオ「私も一言!夕方ニュース」に出演してきました。
解説委員の谷田部雅嗣さんの進行で「オリンピックとスポーツドクター」について。
ケガや病気の治療だけではなくて、いろいろなことをしてるって話をしてきました。
ラジオのスタジオは、意外に普通で、ビックリ。
中学校の時の放送室を思い出しました。私は中学校時代、放送委員長だったのでした。
そういえば、いろいろな番組を作っていたなあ。今思うと結構独創的な放送委員長だったかもしれない。
緊張はしなかったけれど、短い言葉で的確に想いを伝えるのはやっぱり難しいですね。
あっという間の15分間でした。
オリンピックにおけるスポーツドクターの役割について、うまく伝わったかなあ。
放送直後に録音したCDをいただいたけれど、なんだか聞くのが怖くてまだ聞いていません。
まだまだ修行が足りませんな。
でもとても勉強になりました。
機会を与えてくださった谷田部さん、どうもありがとうございました。