Archive for 6月, 2012

熱中症―毎年繰り返される悲劇

金曜日, 6月 29th, 2012

2010年8月「e-resident」掲載

今年は梅雨明け後、猛暑が続きました。7月までに2万人以上の人が熱中症で病院に救急搬送され、7月17日からの2週間で216人の方が亡くなったとの報道もありました。毎年この時期にはマスコミから熱中症に関するコメントを求められ、今年も何度かテレビやラジオでコメントしました。熱中症の危険性や救急処置、水分補給の重要性などはもっと多くの人に知ってもらわなければなりません。

熱中症の最も重症な状態を指す「熱射病」に陥ると、死亡する可能性が高いのです。かつては「日射病」などと呼ばれ、直射日光が関係する印象がありますが、熱中症は室内でも簡単に起きてしまいます。

―熱中症事故はお年寄りや乳幼児だけではない

近年の都市化によるヒートアイランド現象や地球温暖化の影響もあって熱中症に対する知識が普及しているにもかかわらず、熱中症による死亡者数は減りません。毎年500人近くの方が亡くなっており、その多くが体温調節機能の衰えたお年寄りや脱水状態になりやすい乳幼児です。さらに、15歳前後の元気な中学生、高校生がクラブ活動中やスポーツ中などに熱中症で死亡するという事故も多いのです。

スポーツ活動中の熱中症の死亡事故は毎年起きています。「行ってきます」と元気に家を出た子どもが、次の日には変わり果てた姿で家に戻ってくるのです。家族にしてみれば、「どうして?」となかなか受け入れられません。スポーツの指導者が熱中症の知識に乏しいことが原因になる場合もあり、最近では訴訟の件数が増えています。スポーツによる熱中症事故は「無知」と「無理」によって健康な人でも生じるものですが、適切な予防措置さえ講ずれば防ぐことができるのです。

―意外と歴史が浅い熱中症の予防対策

わたしが熱中症にかかわることになったのは、今から19年も前のことでした。それまで日本では、スポーツ活動中の熱中症予防に関する具体的な予防指針がありませんでした。そこで悲惨な事故を防ごうと、1991年、日本体育協会に「スポーツ活動における熱中症事故予防に関する研究班」が設置されました。そのとき、現在わたしの上司である川原貴先生に声を掛けていただき研究班に加わりました。

研究班では、スポーツ活動による熱中症の実態調査、スポーツ現場での環境測定、体温調節に関する基礎的研究などを行い、1994年には「熱中症予防8か条、熱中症予防のための運動指針」を発表しました。このガイドラインは、日本体育協会のホームページでダウンロードできますので、ぜひ一度ご覧いただけたらと思います。これらの功績が認められ、2002年には秩父宮スポーツ医科学賞を受賞しました。

今では考えられないことですが、当時は熱中症という言葉がそれほどポピュラーではありませんでした。日射病の方が一般的で、「熱中症って何かに熱中し過ぎること?」などと真面目に聞かれたこともあります。

―水分補給できる環境作りを

地道な普及活動の甲斐があり、熱中症がどんなものなのか、多くの人々に広まってきました。「暑い時期にスポーツする場合には、こまめな水分補給が大事」ということもかなり浸透してきました。しかし実際には、スポーツの現場で適切な水分補給ができていない場合がまだ多いといえるでしょう。

重要なポイントは、自由に水分補給できる環境にあるかどうか。クラブ活動中に、「自由に水を飲んでもいいよ」といっても、「休憩時間に先輩よりも先に水が飲めない」、「すぐ近くに水がない」、「水ばかり飲んでいたらだらしがないと思われる」といった、水分補給を邪魔する要素がまだまだ存在します。実際に下級生ほど熱中症による死亡事故が多いというデータもあります。スポーツの現場では、いつでも水分補給できる環境や、いつでも水分補給できる雰囲気を作ってあげることが肝要です。

熱中症になるかどうかは、その日の体調も大いに関係します。寝不足、きちんと食事が取れていない、下痢や風邪などの状態は熱中症になりやすいのです。「前日に遅くまで飲んで、寝不足のまま朝食も取らずにゴルフに出発。炎天下でプレイして昼にビール」――これは最悪のパターン。ビールは利尿作用もありますから脱水をさらに助長します。

まだまだ暑い日が続きます。皆さんも「こまめな水分、塩分補給」と「外出前、運動前にコップ1杯の水」を心掛け、決して無理せずに夏の暑い時期を乗り切ってください。

ベネズエラ美人と国策としてのスポーツ

金曜日, 6月 29th, 2012

2010年7月「e-resident」掲載ベネズエラ、カラカス・「女子ソフトボールの世界選手権」

女子ソフトボールの世界選手権がベネズエラの首都・カラカスで開催されました。4年ごと、オリンピックの2年前に開催されるこの世界選手権が前回まではオリンピック予選を兼ねていました。

これまで日本チームは毎回オリンピックの出場権を獲得していたものの、いつも決勝で米国に敗れて世界一になれないでいました。しかし、2年前の北京オリンピックで見事、宿敵米国を破って世界チャンピオンになりました。その後、ご存じのようにソフトボールがオリンピック競技から外れることが正式決定したため、この選手権がソフトボールの世界一を決める唯一の大会となりました。

日本中が感動した北京オリンピックの金メダルでしたが、もう随分と昔の話になってしまった気がします。

今回の世界選手権のことも日本ではほとんど報道されておらず、このコラムで初めて知った読者の方も多いでしょう。そんな中、「バック・ソフトボール」を合言葉に再びオリンピック競技種目に戻ることを目指して、そして再び世界一になることを目指して、選手もスタッフも頑張っています。

今回の世界選手権に挑む日本チームの監督は北京オリンピックで指揮を執った斎藤春香監督、選手団の団長はシドニーおよびアテネオリンピックで指揮を執った宇津木妙子さんです。

カラカスに着いた日の夜、さっそく宇津木団長から「明日の朝6時にエレベーター前に集合」との命令が下りました。選手たちにではなく、わたしに対してです。

翌朝から、宇津木団長と2人きりでの早朝トレーニングが始まりました。選手が宿泊するホテルの地下にあるジムで2人並んで毎朝1時間トレッドミル(ランニングマシーン)をこぎながら、いろいろな話をするのです。

この2人きりのトレーニングは、アテネオリンピックの時も毎日のように行いました。シドニーで惜しくも銀メダルに終わり、「今度こそ金メダル」と臨んだアテネオリンピックでしたが、思うような結果がついてこなくて、一緒に並んでトレッドミルをこぎながら、宇津木さんの愚痴をよく聞きました。オリンピックの監督は孤独です。結果だけですべてを判断される厳しい世界です。愚痴の1つでもこぼしたくなるでしょうが、選手やマスコミの前ではそんなことは言えません。

ドクターとしてアテネオリンピックでわたしが最も時間を割いたのが、宇津木監督の話を聞くことでした。北京オリンピックで優勝が決まった瞬間、あのテレビ解説での絶叫には、今までのさまざまな思いが込められていたに違いありません。

今回もいろいろな話をしました。

「サッカーW杯での日本代表チームの活躍は、スポーツの素晴らしさを皆に実感してもらえて、日本のスポーツ界にとってはすごく良いことだよな」

「子どもたちにソフトボールを教えていると、やはり教育が国の基本だと実感するな」

「今回の大会はベネズエラ政府の力の入れ具合がすごいな。日本でもこういうことができればなあ」

すべての話に共感しました。

―ベネズエラ全体で盛り上がる

今回の世界選手権ではベネズエラ政府が国策としていかにスポーツ振興に力を入れているのかが実感できました。真夜中に到着した日本チームを歌と踊りで歓迎するとともに、スポーツ・観光大臣が自ら出迎えてくれました。開会式ではチャベス大統領が来て演説しました。

本来米国で開催される予定だったこの世界選手権ですが、半年前に米国が辞退したことで急遽ベネズエラでの開催が決まり、わずか半年で新しいソフトボール競技場を2つ完成させました。大会期間中は大会運営に多くの人がかかわりました。試合会場に移動する際には「JAPON」と書かれた日本選手団専用バスが用意され、沿道では多くの兵士たちがバスを警護してくれました。チケットはすべて無料で配布されたこともあり、会場はいつでもベネズエラの人たちで超満員、テレビではすべての試合を生中継しています。この大会運営に30億円投じたそうです。

政治の仕組みに違いはあるにせよ、とても日本ではできないことだろうなと、うらやましく感じました。

―美女の育成も国策

ところで、「ベネズエラ美人」という言葉をご存じでしょうか。ベネズエラでは、テレビに出ている女性は美女ばかりで、世界的なミスコンでも多数の優勝者を出しています。街ゆく人も肉感的な美人が多い。聞くところによると、これも国策だそうです。観光立国を目指すベネズエラは美人の育成にも力を入れており、国立のエステやモデル学校を設立し、世界コンテストに出る場合には、国がお金を出して候補を育てるとのこと。

これは国策としてはどうかなと思ってしまうけれど、国の政策というのは大きな展望やビジョンを持たずには成しえないのだということはよく分かりました。

さて、今回の日本チームです。予選リーグを7戦全勝とグループトップ通過した日本はプレイオフでまず、地元ベネズエラと対戦し、超アウェーの中、2対0で勝ちました。

決勝戦の相手は、北京オリンピックと同じ米国でした。残念ながら7対0で敗れ、オリンピックに続く金メダルはなりませんでした。それでも選手たちはよく頑張りました。これからも「バック・ソフトボール」を合言葉にオリンピックへの復活を目指していきます。時々は気に掛けてくださいね。

インドでのレスリング選手権にて

金曜日, 6月 29th, 2012

2010年6月「e-resident」掲載~インド、ニューデリー・「レスリングアジア選手権」

今回のコラムは、日本に帰国する飛行機の中で書いています。インドのニューデリーにおいて、5月12日~16日の日程でレスリングのアジア選手権が開催され、チームドクターとして帯同しました。男子フリー、グレコローマン、女子でそれぞれ7階級、21人の選手が出場し、連日気合の入った熱戦が繰り広げられました。フリーでメダル4つ、グレコでメダル1つ、女子は全員メダルを獲得し、合計で金2、銀4、銅6という結果でした。詳細は日本レスリング協会のホームページをご覧ください。

2カ月前、日本レスリング協会の医科学委員会の席上において、「下痢する選手が必ず出るインドはやっぱり内科医が必要でしょう」という師匠・増島篤委員長の一声で、わたしが帯同することに決まりました。滞在中の1週間、いろいろなことがありました。そして今、この原稿を書いているわたしのおなかはグルグル鳴っています。通路側の席で助かりました。成田に着くまで何回トイレに行くことになるのだろう……。

―チームドクターの一日

読者の皆さんは、チームドクターが毎日何をしているのかイメージがわかないと思います。そこで、大会期間中のわたしのある一日を再現しましょう。

朝7時に起床し、今大会の団長であるモントリオールの金メダリスト・高田裕司さんとホテルの隣の公園を散歩します。前の晩、「先生、明日の朝一緒に散歩しようよ」お誘いを受けました。「今日も遅くなるだろうし、明日はゆっくり寝たいなぁ」と思いつつ、「オトモイタシマス」と直ちに答えたわたし。選手はもちろん、スタッフや協会の重鎮たちとのコミュニケーションはこの仕事をする上でとても大事だからです。朝7時といえども、ニューデリーはすでに30度を超えています(ちなみに、その前日の最高気温は43度でした)。

ペットボトルを片手に水分補給しながら散歩して、シャワーを浴びてから朝食です。きちんとしたホテルですが、すでに下痢や発熱の選手が数人出ているため、選手たちが変なものを食べていないか気を配ります。部屋(トレーナーとの2人部屋)に戻り、仕事のメールを確認している間に、選手が2人、生理痛や風邪の症状で部屋にやってきました。

午前11時にパトカーが先導するバスに乗り込みホテルを出発し、約30分で試合会場に到着しました。ウォームアップ会場に入り、選手たちは試合に向けてアップを開始します。試合が始まるまでの間は「ちょっとおなかが痛いんですけれど…」と訴えてきた選手に対応し、試合中はリングサイドで応援しながら、不測の事態に備えます。

午後5時には、翌日の試合のための計量やメディカルチェックにやってきた選手たちに対応します。試合前のメディカルチェックというのは、試合で相手に感染させる恐れのある皮膚感染症などがないかどうか、大会のドクターがチェックするのですが、何かいちゃもんをつけられたときにはわたしが出て行き、問題ないことを証明するのです。

午後6時からは決勝トーナメントが始まり、表彰式の後はドーピング検査の対象となった選手に付き添います。検査員の言葉を通訳し、ドーピング検査室で選手の権利がきちんと守られているかにも気を配ります。検査が終了して、バスに乗り込み、ホテルに着いたのが午後10時。それから食事をして、シャワーを浴びて、マッサージを受けている選手たちと雑談して、深夜2時くらいに就寝します。帯同時は大体このような毎日です。

―インドの救急車に乗り込む

今回の大会は10月にニューデリーで行われるコモンウェルスゲームズ(4年に1度、イギリス連邦に属する国が参加する総合競技会)のプレ大会ということで、とてもセキュリティチェックが厳しく、至るところに警官や軍の兵士が銃を構えていました。ですから、われわれはホテルと会場の往復だけで、それ以外のところには勝手に行くことができません。しかし、そんな中、貴重な体験をすることができました。

ある選手が試合後、マットにあおむけになったまま起き上がれなくなりました。直ちにマットに駆け上がると、選手は強い痛みで過呼吸状態に陥っています。意識などに問題ないことを確認して「大丈夫だよ」と声を掛けながら落ち着かせると、鎖骨のあたりに強い痛みを訴えます。一見、骨折や脱臼はなさそうと判断しましたが、念のためレントゲンで確認することにしました。

大会組織委員会が手配してくれた救急車に選手と一緒に乗り込みました。すると、インドの救急車にびっくり。とても汚くて、ここで治療したら病気が悪化しそうな雰囲気で、おんぼろ車のためにすごい振動です。車内は冷房もなく、窓を開けたら40度の熱風が吹きつけてきたので、あわてて窓を閉めました。

―医学の常識が必ずしも当てはまるわけではない

病院に到着しレントゲン室に入ったら、ここも物置小屋のよう。改めて日本の医療水準の高さを実感しました。幸い、骨に異常はなく選手の痛みもだいぶひいてきました。そこでインドの偉そうな大先生が登場し、入院病棟に運ばれ、「VIP」と書かれた個室に案内され、「念のため安静が必要だから明日の朝まで入院しなさい」というのです。おそらく、外国からのゲストにきちんと対応しなければという善意だと思いますが、「自分はドクターだから何かあったら責任を持って対応する」という旨を話して、何とか帰らせてもらうことになりました。

帰りの救急車では、少し元気になった選手と一緒に観光気分を味わいました。救急車は今までまったく通らなかった路地を走り、ものすごい人ごみや、馬車の馬小屋、道を歩く象など、まさにインドを堪能することができました。

―街中を歩く象

会場に戻ると、「観光できて良かったじゃないか」とコーチにからかわれた選手でしたが、ドクターの立場では、今日の試合に出場するのはちょっと無理だと思いました。しかし、「骨に問題ないのであれば、ここで痛みをこらえて戦うことが必ず将来の成長につながる」という高田団長の言葉によって、選手もその気になり奮起し、見事銅メダルを獲得しました。

 

「やはりドクターよりも経験者の見立てのほうが正しいな」と納得し、オリンピックチャンピオンの偉大さを改めて感じたのでした。

以前のコラムでも述べたように、医学の常識が必ずしもスポーツの現場で当てはまらないことだってたくさんあります。今回のインドでも多くを学びました。